湾岸戦争
イラクによるクウエート侵攻に対して
国際連合側が、アメリカ、イギリスなどの多国籍軍の派遣を
決定し、1991年1月17日にイラクへの空爆を皮切りにして
始まったのが中東での湾岸戦争である。
多国籍軍は1ケ月にわたり、イラクへの空爆作戦の “砂漠の嵐作戦”
の後に、地上戦の “砂漠の剣作戦” を発動し、
イラク軍が守っているクウエート領域に突入した。
アメリカ軍が多くを占めるこの湾岸戦争は、
イギリスやフランスなどのようなヨーロッパのみならず
サウジアラビアを始めとする湾岸諸国やイラクと同じバアス党政権の
シリアのようなソ連に親しい国も参加した。
この湾岸戦争は、国際連合により認可されたものなので
多国籍軍は、着々とバース党政権下のイラクへの攻撃態勢を
整えていった。
多国籍軍はこの戦争で圧倒的な勝利をおさめて、クウェートを
解放した。
湾岸戦争のハイテク兵器
湾岸戦争での兵器
湾岸戦争での空爆は、これまでのB52などによる
じゅうたん爆撃ではなかった。
モニタ上に映し出されたターゲットに対して、
ボタンを押すだけというようなゲーム感覚で
ピンポイント爆撃を行なうというものであった。
イラク軍の地上戦車が、赤外線センサーで、
米軍のモニタに写し出されて、ボタン操作で、
次々と砲弾が命中して破壊されていった。
また、レーダー射撃のミサイル攻撃ができるMLRSが
初めて実戦投入された。
いわゆる、湾岸戦争でのイラクの地が、ハイテク兵器の
実験場にもなったのだ。
多国籍軍の戦力は、陸軍兵力が後方支援も合わせると56万人。
戦車と装甲車を合わせて約1万両、航空機は2700機
空母、戦艦、揚陸艦などを合わせて550隻の戦力である。
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