ミッドウェー海戦
ミッドウェー海戦は、太平洋戦争中の昭和17年6月に
日米の海軍が繰り広げた大規模な戦いある。
日米海戦以後の日本海軍の行動は、山本司令長官の
思惑どおりに進行していた。
そして、次の段階の作戦目標として浮かび上がったのが、
ハワイから北西の約2000kmに位置するミッドウェー島の
アメリカ軍の飛行場であった。
日本海軍のこの作戦の狙いは、ミッドウェーに進出すること
によって、アメリカ海軍の空母部隊を誘い出すことであった。
本作戦では、日本海軍の連合艦隊の決戦兵力のほとんどが
動員されることになったのである。
この作戦で「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」の4隻の空母が
参加した。
これらの空母はいづれも真珠湾攻撃で参加したものである。
このミッドウェー海戦で、米空母ヨークタウンが日本軍の艦載機
の攻撃で大破し、その後は日本の潜水艦の攻撃で撃沈される
ことになった。
日本側の空母「赤城」「加賀」「蒼龍」の3隻が最初に撃沈され、
つづいて、唯一無傷で生き残った「飛龍」もその後の戦闘で
撃沈されることになった。
最終的には、日本海軍は、参加した4隻の空母すべてを失う
ことになった。さらに、航空機の損害は、300機も失う
大損害であった。
ミッドウェー作戦での日本海軍の多数の航空機と空母の損失で
これ以降は、日本軍が敗退の道に進んでいくことになった。
もしもミッドウェー海戦で日本海軍が勝利していたとしたら
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