スターリングラード攻防戦
独ソ戦が始まってから約1年後の1942年6月28日に
スターリングラード攻防戦が始まった。
スターリングラードは、モスクの南方に位置しており、
黒海に近い場所にある交通の要所である。
ドイツ軍による開始から6日間の空からの爆撃により
スターリングラードの市街全体が廃墟となってしまった。
ソ連側の死者は数万人以上にもなった。
しかし、ソ連軍はすぐに体制を整えたため
ドイツ軍のスターリングラードの市街への侵攻に
立ち向かうことができた。
建物の一つ一つを奪い合う激戦がスターリングラードの
各所で行われた。
ドイツ軍の死傷者は約85万人、ソ連軍の死者はは約120万人
にも達した。
スターリングラードの住民は、60万人の中の約20万人もが
なくなった。
スターリングラード攻防戦によって、ドイツ軍は壊滅状態とも
いえるほどの大敗北した。
スターリングラード攻防戦では、死者が200万人以上にも
なり、ヒトラーはナポレオンの二の舞を踏むことになった。
スターリングラード攻防戦は、独ソ戦の中心となる戦いである
にもかかわらず、日本の歴史の授業ではあまり詳しくは取り上げ
られてはいない。
当初は、ドイツはソ連と手を結んで、西ヨーロッパ攻略を
目指していた。
しかし、イギリスとのバトル・オブ・ブリテンの結果が悪かったため
ドイツは戦略を転換することになった。
当時は、ソ連の兵器も進歩しており、量産化されていたため、
ドイツにとっては驚異であった。
このため、この危機から脱するため、ヒトラーは先手を打って
ソ連に攻撃を仕掛けることになった。
また、ソ連を攻略してしまえば、イギリスが和平を結ぶ気に
なるのではないかと、楽観的な考えを持っていた。
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