コンスタンティノープルの陥落
1453年5月に、オスマン帝国のメフメト2世の攻撃で
東ローマ帝国の首都であるコンスタンティノープルが陥落した。
この戦闘で、長く続いた東ローマ帝国は滅亡することになった。
この東ローマ帝国の滅亡が、いわゆるすべてのローマ帝国の滅亡
につながったのである。
当初の戦争の起きる前は、オスマン帝国と東ローマ帝国は
表面上は、平和的な関係にあった。
しかし、ローマ帝国が東西に分裂してするのをきっかけに、
コンスタンティノープルは度重なる攻撃を受けることになった。
それでも、東ローマ帝国のコンスタンティノープルが他から
征服されるようなことはなかった。
しかし、ここにおいて、オスマン帝国のメフメト2世が
コンスタンティノープルの征服に乗り出してきたのである。
メフメト2世は、10万以上の軍勢でコンスタンティノープルを包囲した。
メフメト2世はコンスタンティノープル攻撃のために
巨大な大砲を製造していた。
砲身の長さが約8mあり、口径は67cmもあったという記録がある。
戦艦大和の口径46cmの主砲よりも遥かに大きなものであった。
コンスタンティノープル包囲戦ではこのの巨砲が大活躍したのだ。
両者の戦いは膠着状態になり、途中で、和平案も出ていたようである。
しかし、両者とも最終的には戦闘続行を選びぶことになった。
そして、コンスタンティノープルは陥落し、東ローマ帝国は敗退した。
かくして、1000年もの長期に渡って存続してきた東ローマ帝国が
完全に滅亡することになった。
コンスタンティノープルの陥落
世界史劇場・コンスタンティノープルの陥落
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