アラモの戦い
アラモの戦いは、1836年2月にテキサス独立派の反乱軍と
メキシコ共和国軍との間で行われた。
テキサス軍が拠点とするテキサス州サンアントニオ中心街にある
アラモ伝道所が戦いの場所になった。
ジェームズ・ボウイ大佐が指揮するテキサス軍が
アラモを守備していた。
同じ頃、騎兵隊中佐に就任したばかりのウィリアム・トラヴィス
守備に加わることになった。
途中で、ボウイが結核で倒れることになり、代わりに
トラヴィスが指揮をとることになった。
このアラモには、テキサス以外の各地からも多くの守備兵が集まった。
有名なデイヴィッド・クロケットも防衛に参加することになった。
彼は、以前はテネシー州の下院議員であった。
このアラモ砦を攻撃するメキシコ軍の兵力は、5,000人近くいた。
メキシコ軍のアラモ砦への包囲開始から13日後に、
メキシコ軍の一斉攻撃の火ぶたが切られた。
テキサス軍は、応戦はするものの、劣勢状態であった。
クロケットは配下の数人と一緒に捕らえられて、処刑された。
メキシコ軍は、守備隊の男のほとんどすべてを殺して
ここにおいて、アラモの砦は陥落することになった。
アラモ・皆殺しの歌
アラモの砦が約100年ぶりに大規模な修復
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