空母 赤城
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赤城は、天城型巡洋戦艦の2番艦として建造されたものを
空母に改造されました。
1922年に完成寸前において、ワシントン海軍軍縮条約が
締結されたため、戦艦の数が制限されることになりました。
ここで、赤城を廃艦にしてしまうわけにはいかないので、
これを空母に改造することになりました。
そして、1941年に空母赤城として南雲中将が指揮をとり、
第一次攻撃隊の第一波が赤城から真珠湾に向けて発艦しま
した。
このときの攻撃に参加したのは、九七式艦上攻撃機が27機、
ゼロ戦が9機です。
1942年1月には赤城から飛び立った艦載機がラバウルを
攻撃し、さらにその後は、オーストラリアの港湾都市ポート
ダーウィンを空襲しています。
1942年4月のセイロン沖海戦では、他の空母とともに
イギリス海軍重巡洋艦ドーセットシャーおよび空母ハーミーズ
を撃沈するなどの成果をあげています。
赤城は、1942年6月にはミッドウェー海戦に参加して
います。
このとき、九七式艦攻に魚雷を搭載完了の時点で、魚雷を
はずして、急きょ陸上攻撃用の爆弾に取り換える作業が始まり
ました。
そして、この最中に、ミッドウェー基地から飛来してきた
アメリカ軍航空機の空襲を受けることになります。
このときは、赤城はすべて攻撃を回避することができました。
しかし、ここでさらに、陸上用の爆弾をはずして、また魚雷に
交換する作業が始まったのです。
3度も重なる兵装転換に、整備兵は大混乱に陥いりました。
そして、ついに、この最悪のタイミングにおいて、米軍機が
飛来してきて、ついに赤城の甲板に爆弾が命中しました。
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