モンテ・カシーノの戦い
モンテ・カシーノの戦いは、第二次世界大戦中の
1944年1月から5月にかけて行われた。
連合軍のイタリア戦線におけるびローマ解放のために、
イタリアのモンテ・カッシーノで行われた戦いである。
これは、イタリアのモンテ・カッシーノ丘のベネディクト会
修道院を守護するドイツ軍部隊に対する、連合国軍の4度目の
攻撃にあたるものである。
第4回目の攻撃には、1943年から1944年にかけて、
イタリアに投入されていた第2ポーランド軍団が加わわる
ことになった。
アメリカ軍は、モンテ・カシーノの山の頂上にある
修道院に対して1,400トンもの爆弾で爆撃した。
こんな修道院に対しての大規模な爆撃の理由は、
修道院が枢軸軍の監視所として使用されていると
思っていたからである。
しかし、枢軸軍がその修道院に進駐していなかった
ということを後になってわかった。
このが爆撃をさかのぼる以前には、ドイツ軍と修道院の間では、
修道院が歴史的な重要性があるため、修道院を軍事目的で利
用しないことで合意していた。
また、イタリア方面の総司令官もドイツ軍部隊を修道院には
配置しないように命じていた。
さらに、そのことを連合軍側にも通知をしていた。
しかし、このような状況において、連合軍の偵察機は
ドイツ軍部隊が修道院内にいたと報告していた。
モンテカシーノのへ爆撃
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