バウンティ号の反乱
18世紀末にイギリス海軍の砲艦バウンティ号上で起きた
艦長に対する水夫たちの反乱事件である。
その当時の話題となっており、その後、多くの文学作品や
映画などで紹介されている。
バウンティ号の任務は、タヒチ島から食料品のパンノキを
西インド諸島に運ぶことであった。
小型の船舶であったため、映画「戦艦バウンティ」で呼ばれる
いわゆる戦艦というものではない。
乗組員は、艦長のウィリアム・ブライ以下と士官、水平などを
合わせて45名ほどであった。
1787年12月23日に、バウンティ号はイギリスの
ポーツマス港を出航した。
最初のうちは、南米ホーン岬を回って太平洋に出る計画だったが、
悪天候のため、すぐに計画を変更し、喜望峰を周ってインド洋に
出ることになった。
事件は、トンガのフレンドリー諸島で反乱が起きた。
反乱によって副艦長のクリスチャンがバウンティを捕獲した。
ブライ艦長と部下の18名は、バウンティ号から
引きずり降ろされてボートで追放された。
ブライ艦長の乗ったボートは漂流して、ティモール島に
たどり着いた。
その後のクリスチャンと反乱者たちは、タヒチで暮らしたが、
タヒチ人との衝突で大半が亡くなり、クリスチャン自身も
衝突で殺されたと言われている。
戦艦バウンティ号の反乱
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