戦艦大和の最期
戦艦大和は、第二次世界大戦当時に日本が建造した
世界最大の戦艦です。
大和の姉妹艦には、武蔵と信濃がありますが、信濃は
後に空母に改造されました。
戦艦武蔵は、大和よりも前にレイテ島沖で撃沈されて
います。
昭和20年(1945年)4月5日に、戦艦大和に海上特攻隊
としての「天一号作戦」の名のもとに出撃命令が下る
ことになりました。
大和は、片道分の燃料だけを積んで自ら浅瀬に乗り上げ、
壁となってアメリカ軍を砲撃するというような、まさに
無茶な特攻作戦です。
この大和の目的地は、すでにアメリカ軍が上陸を開始
している沖縄です。
出撃する艦艇は、大和を含め、軽巡洋艦の矢矧と駆逐艦の
雪風・朝霜・冬月・涼月・磯風・浜風・霞・初霜の合計
10隻の艦隊です。
4月7日の8時40分にアメリカ機動部隊の艦載機が大和を
確認しました。
多数の米軍機が大和に襲いかかってきましたが、大和から
の米軍機への砲撃で3機を撃墜し、20機を撃破しています。
しかし、米軍機の集中砲火により、大和の弾薬庫が爆発して
鹿児島県坊ノ岬沖に爆沈しました。
大和を襲った魚雷は実に44本、爆弾27発、ロケット弾が
112発と言われています。
この時の戦死者は、艦長以下2498名とされています。
「太平洋戦争」カテゴリーの関連記事