空母信濃の最後
信濃(しなの)は、旧日本海軍の航空母艦であり、
第二次世界大戦においては、世界で最大の航空母艦
であった。
当初の信濃は、戦艦大和と武蔵に次ぐ大和型戦艦の
3番艦として建造されたものであった。
しかし、ミッドウェー海戦で主力空母赤城、加賀、
蒼龍、飛龍の4隻を失うなどして、空母の必要が迫られて、
信濃は戦艦から空母に改造されることになった。
だから、基準排水量は62,000トンもあり、1961年
にアメリカの原子力空母であるエンタープライズが就航
するまでは、史上最大の排水量の空母であった。
信濃は、大和型戦艦を改造したものであったがために、
艦内は複雑で迷路同然であり、艦内を慣れるのも
容易ではなかった。
また、戦艦を改造した空母のため、大きさの割には、
航空機の収納は少なかった。
アメリカの潜水艦が日本近海の港に進出してきて、停泊中の
空母信濃に4本の魚雷を発射した。
こうして、空母信濃は就航してわづかの17時間で撃沈
してしまったのである。
魚雷攻撃による戦死者は数名程度であったが、多数の乗組員
が行方不明になっている。
沈没していく艦体に多くのの兵がしがみついていたのも
目撃されている。
最大最強空母となるはずだった信濃は、一度も活躍することなく
葬られることになった。
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