戦艦武蔵の最後
戦艦武蔵は、旧日本海軍の大和型戦艦の2番艦にあたる
世界最大の戦艦の1つである。
戦艦武蔵は、設計段階から司令部施設に注意がなされて
大和ので弱点であった副砲塔周辺の防御力も強化される
ことになった。
姉妹艦である大和や信濃と同様に、武蔵の建造は極秘と
されていた。
武蔵の特徴は絶対に沈まない“不沈艦”と言われた設計に
なっていた。
内装は、1,000以上もの区画に細かく分かれていて、
ある程度の浸水では沈没しないように設計されていた。
エンジンなどの心臓部を守っている装甲板は世界一の厚さ
が40cmもあり、簡単に破壊することはできなかった。
戦艦武蔵は、太平洋戦争末期に日米が激突した史上最大の
海戦と言われるレイテ沖海戦の切り札として参加した。
レイテ沖海戦においては、武蔵は栗田艦隊に所属していて、
大和、長門と行動を共にしていた。
レイテ沖海戦におけるハルゼー大将とミッチャー中将が
率いる第38任務部隊4隻の空母を所持していた。
航空魚雷によって、武蔵の真横に10本以上の魚雷が命中
して、分厚い装甲板をつなげていたリベットがはずれて、
その隙間から浸水して沈没したと言われている。
2015年3月に世界中の人たちが探し求めていた
戦艦武蔵の残骸が海底で発見された。
70年以上もの間、フィリピン沖1,200mの深海で眠り
続けてきた武蔵もついに発見されることになった。
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