イスラエルのレバノン侵攻
2006年7月に、イスラエルはレバノンに侵攻して
激しい攻撃をくわえて多くの民間人を巻き込んだ。
この戦争は、2006年イスラエル・ヒズボラ戦争とか
7月戦争、さらに、第二次レバノン戦争とも呼ばれている。
空爆の対象は、ヒズボラ支配地である南部の幹線道路や
発電所から始まった。
首都のベールートの住宅街も爆撃されて、爆撃により
9棟の高層住宅が倒壊している。
停戦を控えた状態でも住民たちが犠牲になってしまった。
倒壊したビルなどを撤去中でも、空爆が再開されようと
していたため、すかさず退去した。
このようなことから、救出中の負傷者が攻撃されることも
かなりあったようである。
市内の病院に負傷者が搬送されていくが、負傷者の中には
クラスター爆弾の体中への被弾により負傷した人もいた。
妊娠中の産婦が、爆撃のショックで流産したしまった
女性もいた。
この産婦は、これまでに長い間、不妊の状態で、やっとの
ことで、子供が生まれる寸前であった。
この爆撃での被害は、戦闘員以上に、非戦闘員の負傷者の
方が多かった。
このイスラエルのレバノンへの1ケ月の侵攻の間に、
7000回もの空爆が行われた。
死者は1200人ちかくになり、3600人以上の負傷者
が出ている。
しかも、死者の半分もが未成年だったのだ。
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