空母「大鳳」の最後
旧日本海軍の空母大鳳は、日本の空母としては初めて
飛行甲板に装甲を張る技術を導入しています。
空母の飛行甲板に爆弾がたった1発落とされただけで
使い物にならないものになってしまいます。
何故なら、甲板上で航空機の離着艦ができなくなって
しまうからです。
その解決策として、空母の甲板に装甲を配置する開発が
進められることになりました。
そして、初の装甲空母となった大鳳が建造されることに
なりました。
海軍の軍司令部では、大鳳の飛行甲板に対し8000kg爆弾
の急降下爆撃に耐えられる装甲を要求していました。
しかし、このような空母を作るとしたら、4万トン級の
超大型空母になってしまうために、この要望は没になり
ました。
しかし、飛行甲板の装甲化によって重心位置が高くなる
ことにより傾かないようにするために艦内甲板は1層減る
ことになりました。
このため、艦内の格納庫の容積は翔鶴型より小さくなって
います。
大鳳は全長が260mで、排水量は29,300トンの
大型空母であり、乗員は1649名でした。
大鳳の空母への搭載機数は、61機であり、これは、翔鶴型や
アメリカの大型空母が70~90機前後なのに比べるとやや
少な目になっています。
大鳳は、これだけ期待された空母でありながら、マリアナ沖海戦で
アメリカの潜水艦の1発の魚雷攻撃で沈没してしまったのです。
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