桶狭間の戦い
桶狭間の戦いとは、1560年6月12日(永禄)に尾張国の
知多郡桶狭間で起きた織田信長軍と今川義元軍との合戦です。
尾張の織田信長が、雨の降る中を本陣を奇襲攻撃して、
今川義元を討ち取りました。
桶狭間は、名古屋市と愛知県豊明市にまたがる地域です。
当時、今川義元は駿河・近江・三河の三国を支配下に置いて
いました。
そして、今川義元は北方の武田家と東方の北条家と三国同盟を
結び、西方にある尾張を一気に制圧してしまおうとする方針
でした。
まだ、尾張を統一した直後の織田信長は、家臣や他の豪族たち
との信頼関係も無かったために、今川義元の大軍に対抗するた
めの兵力を集めることはできませんでした。
今川義元は絶好のチャンスだと考えて、25000もの大軍を
率いて尾張を目指して、進軍しました。
これに対して、織田信長の軍勢はわづかの3000ほどです。
勝利するためには、奇襲攻撃以外はありません。
今川義元の軍勢が桶狭間に通りかかりました。桶狭間はその
名前の通り、道の幅が狭くて長く伸びています。
だから25000の今川勢は列が数キロメートルほど長く延びて
います。
このため、信長勢が、この今川義元のいる1部を攻撃すれば、
3000の織田勢も数からすれば互角に戦うことができます。
この一部分の領域で両者の合戦が始まっても、今川勢のすべて
の大軍が駆け付けるまでには時間を要します。
ここで、信長は一か八かの奇襲攻撃をかけて、今川本陣の不意を
ついて、織田勢が有利の体勢で今川義元を打ち取りました。
総大将である義元の戦死により、今川軍は戦意を喪失し、合戦は
織田軍の勝利に終わりました。
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