インパール作戦
インパール作戦とは、第二次世界大戦中の日本軍のビルマ戦線に
おいて、イギリス領インドのインパールへ進攻した作戦です。
作戦に参加したほとんどの日本兵が死亡しているために、日本軍に
とっても、史上最悪の作戦と呼ばれています。
このインパール作戦とビルマで命を落とした日本軍の将兵の数は
実に16万人にもおよんでいます。
このインパール作戦にあたり、当初から大本営でも反対の意見が
多くありました。
しかし、それにもかかわらず、牟田口廉也中将の強硬な主張により
作戦は決行されることになりました。
インパール作戦は、1944年3月に決行されたが、川幅600m
にもおよぶ大河と2000級の山を越える必要がありました。
ところが、日本軍はインパールに誰1人とも、たどり着くことが
できないままで、およそ3万人が命を落としてしまったのです。
インパール作戦は、雨期に重なるのを避けるため、3週間の短期決戦
を想定して、9万人の兵力を動員しました。
だから兵士たちは、3週間分の食糧しか持たされていなかったのです。
山岳地帯の道なき道を兵士たちは進んで行き、戦いを前にしてすでに
体力的にも消耗し切っていました。
インパール作戦は、敵国であるイギリス軍の戦力をあまりにも軽視
した戦いでもありました。
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