上海事変
第一次上海事変は、1932年1月28日から3月3日にかけて、
中華民国の上海周辺で起きた日中両軍の衝突事件です。
この戦いにおいて、日本軍は2300名以上の負傷者を
出しています。
日本軍部は、満州事変に対する世界の注目をそらして
中国の抗日運動を弾圧するよう計画を立てていました。
当時、上海市内において中国人が日本人僧侶を死傷させた
事件が起こり、日本軍部はこの事件を口実にして上海を
占領しようとしました。
しかし、中国民衆の対抗が大きく、国際連盟への提訴が
行われて、日本軍の攻略は失敗に終わりました。
アメリカ・イギリス両国の抗議もあったことから,国際
情勢も不利であったため5月には停戦協定が成立しました。
ここにおいて、日本軍はわづかの守備兵を残して撤退し,
一応戦闘は終結しました。
続いて、1937年8月13日から、第二次上海事変が
勃発しました。
日本軍は、北京,天津を陥落させた後に、北伐によって
南京に建設された南京国民政府を降伏させようとしました。
このとき、日本軍は数万の大軍を杭州湾に上陸させて上海
の一帯を地域を制圧しました。
これ以降は、日本と中国は全面戦争に突入することに
なります。
第二次上海事変は、盧溝橋事件と並んで、支那事変勃発の
契機となった戦闘です。

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