鍵屋の辻の決闘
鍵屋の辻の決闘(かぎやのつじのけっとう)は、赤穂浪士の
討ち入りと曽我兄弟の仇討と並んで、日本三大仇討の1つで
あるとされています。
鍵屋の辻の決闘は、別名、”伊賀越の仇討ち” とも言われています。
寛永11年11月7日(1634年12月26日)に、渡辺数馬の弟の
仇である河合又五郎を打つために、荒木又右衛門の助太刀により
行われた戦いです。
仇討ちの相手である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った
事件です。
伊賀国上野の鍵屋の辻は、現在は三重県伊賀市小田町にあった
場所です。
事件の発端は、11月7日の早朝に、鍵屋の辻を通行する又五郎
一行を待ち伏せして、数馬と又右衛門らが切り込みをかけました。
又五郎側には、槍の名人の桜井半兵衛などが護衛に付いていて、
総勢11人の集団でした。
一方の待ち伏せした渡辺数馬側は、荒木又右衛門と門弟の
岩本孫右衛門と川合武右衛門の4人でした。
最初に、馬に乗っている桜井半兵衛と槍持ちに斬りつけて、
半兵衛の槍を渡さないようにしました。
このとき、数馬側の川合武右衛門は相手に切りつけられて、命を
落としています。
戦いは、5時間もの長時間に渡り、最後は、数馬が又五郎に傷を
負わせた直後に、荒木又右衛門がトドメを刺しています。
通説では、荒木又右衛門の「36人斬り」などとと言われるが
実際に、又右衛門が斬ったのは2人だけです。
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