ダーウィン空襲
ダーウィン空襲は、第二次世界大戦中の1942年2月19日に
日本海軍がオーストラリア本土のダーウィンで行った最初の大規模
の空襲です。
日本軍による2回の空襲で、計242機が参戦しました。
第1回目の攻撃は、空赤城、加賀、飛竜、蒼龍の4隻の空母から
飛び立ったゼロ戦37機を含む188機の艦載機が攻撃を仕掛け
ました。
第2回目での攻撃は、基地から飛び立った九六式陸上攻撃機27機、
一式陸上攻撃機27機で編成された攻撃隊 計54機がダーウィン上
空に到達しました。
ダーウィン湾の市街地、艦船さらに、市街地付近に建設されていた
2つの飛行場を攻撃しました。
攻撃の目的は、日本軍がこれからティモール、ジャワ島侵攻しようと
したことに対して、連合国がこれを阻止しようと飛行場の建設を
始めたのが発端でした。
ダーウィンでの防備は不十分のため、日本軍はほとんど損害を
出さずに連合国に重大な被害をもたらしました。
ダーウィンの都市では、この空襲によりかなりの被害を受けて
戦闘員以外の一般の人たちの死者も多数出ました。
空襲が2回行われて、その中の第1回目の空襲のときには、
港に停泊中の艦船の火薬庫に引火して大爆発を起こしました。
この空襲で連合国側に多数の被害が出たばかりではなく、日本側でも
多くの日本機が撃墜または故障から墜落しています。
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