一の谷の合戦
一の谷の合戦は、平安時代の末期の治承8年2月7日(1184年3月20日)に
現在の兵庫県神戸市須磨区で行われた戦いです。
この戦いは、源頼朝が派遣した源義経が急傾斜の山から馬に乗り、平家の
陣地に奇襲攻撃をかけた戦闘です。
一ノ谷の合戦いは平家と源氏による戦いではあるものの、実際には
後白河法皇が後ろであやつっていました。
一ノ谷の戦いは、一般的な説では、源義経の奇襲により大勝利を収めたと
言われていますが、実際には、この戦い全体が白河法皇によって立案
された奇襲作戦だったようです。
後白河法皇は、後に源頼朝からは、日本一の大天狗とまでも言われていた
人物でした。
一ノ谷の合戦が行なわれた時期は、平清盛逝が死去してからちょうど3年
が経過していました。
平宗盛率いる平家軍は「ひよどりの逆落とし」で有名な源義経の奇襲攻撃
によって源氏軍に大敗することになります。
源義経は奇襲を仕掛ける前に地元の猟師に、いろいろと聞き込みを行って
鹿がこの谷を越えることを知りました。
義経は、鹿がこの谷を降りられるなら、馬でもできるはずだと確信した
のです。
源義経は敵を欺いて奇襲攻撃をかけることでは、天才だっとと言われて
いて、後世ににおいて、織田信長が桶狭間の戦いでも義経の策にヒントを
得ているとも言われています。

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