曾我兄弟の仇討ち
曾我兄弟の仇討ちとは、建久4年5月28日(1193年6月28日)に、
曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を富士野
において討った事件です。
この同じころには、源頼朝が富士で巻狩り行っている最中でした。
この曾我兄弟の仇討ちは、赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ち
に並んで、日本三大仇討ちの1つになっています。
当時の兄の曽我十郎祐成は22歳で、弟の曽我五郎時致は20歳
の若さでした。
仇討ちの発端は、兄弟の父である河津祐泰が伊豆国奥野の狩庭で
工藤祐経の郎従に暗殺されたことによるものでした。
5月28日の夜半において、雷雨の中を、曽我十郎祐成と五郎時致
の兄弟が裾野に建ち並んだ宿舎に忍び込んできて、工藤祐経を殺害
しました。
不意をつかれた宿舎の者たちはこれに驚いて、駆けつけようにも
雷雨のため、灯りも点かない事態になっていて対処のしようが
ありませんでした。
兄の十郎祐成は仁田忠常に討ち取られますが、弟の五郎は頼朝の
宿舎をめがけて突進しました。
源頼朝も太刀をとり立ち向かおうとしたが、そばにいた大友能直が
留まらせました。
そして、五郎は、小姓によって取り押えられてしまいました。
工藤祐経を討ち取った後は、兄の十郎はその場で討ち取られて、
弟の五郎は捕縛されて鎌倉へ護送される途中において、鷹ヶ岡で
首を刎ねられてしまいました。

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