タラワ島の戦い
タラワの戦いは、太平洋戦争中の1943年11月21日
から3日間にかけてギルバート諸島のタラワ島において
行われた日本軍守備隊とアメリカ海兵隊との戦闘です。
この激戦において、アメリカ軍は多数の損害を出したため、
恐怖のタラワと呼ばれるほどでした。
当時は、ダグラス・マッカーサーはフィリピンから
ニューギニアへの攻撃を主張していて、このタラワ島
への攻略には反対していました。
しかし、途中から、ギルバート諸島のマキン、タラワ島および
アベママの3環礁への攻略に変更されました。
珊瑚礁に囲まれた環礁の島に上陸するために、水陸両用車の
LTVが大量に必要になりました。
このLTVはすべての上陸部隊には行きわたらなかったため、
残りの部隊は、珊瑚礁の浅瀬を歩いて上陸することになりました。
日本軍はすでに開戦直後には、ギルバート諸島を攻略していた
のですが、マキン環礁にわずかを守備兵を残しておいただけで、
タラワ島には部隊を駐留させていませんでした。
後になって、日本軍はギルバート諸島が重要な地点であることに
気づき、地上防護施設や航空施設の増強を始めました。
11月21日に、米軍の戦艦コロラドとメリーランドにより
タラワ島に艦砲射撃を行いました。
この戦艦の主砲の攻撃により、タラワ島の弾薬庫に命中して
大爆発を起こしました。
そして、LVT(水陸両用トラクター)が上陸を開始しました。
タラワ島には、アメリカ第2海兵師団 5000人が上陸して、
1000人の死者と2300人の負傷者を出すほどの惨事に
なりました。
日本軍は、100人の捕虜意外は約 8500人が全滅しました。
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