鍵屋の辻の決闘
鍵屋の辻の決闘とは、寛永11年11月7日(1634年12月26日)
に起きたかたき討ちの事件です。
渡辺数馬が荒木又右衛門を味方にして、弟の仇である
河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻での決闘を行いました。
この決闘は別名、伊賀越の仇討ちとも呼ばれていて、
曾我兄弟の仇討ちと赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本
三大仇討ちの一つになっています。
この年の7月に、岡山藩の河合又五郎がいざこざを起こして
同じ藩の小姓の渡辺源太夫を殺害しました。
ここで、渡辺源太夫の兄である数馬は又五郎を討つよう覚悟
を決めました。
しかし、戦国時代よりの仇討ちの習いとして、兄が弟の仇を
討つことなどこれまでに例が無かった。
数馬は、この例をくつがえして、仇討ちのために脱藩すること
になりました。
ここで、剣術が未熟な数馬は、郡山藩剣術指南役の荒木又右衛門
に助太刀を依頼することになりました。
又右衛門は承諾して、数馬と又右衛門は又五郎の行方を捜し回り
ました。
そして、この年の11月に、又五郎が奈良の旧郡山藩士の屋敷
に潜伏していることを突き止めるに至りました。
しかし、又五郎は彼らが気づいていることを察知して江戸へ
逃げるよう行動をおこしました。
ここで、数馬と又右衛門は又五郎が伊賀路を通って、江戸へ向かう
ことを知り、道中の鍵屋の辻で待ち伏せすることにしました。
又五郎一行は11人の護衛を付けていました。これを待ち受けて
いたのは、待ち伏せ側は数馬と又右衛門を含めて4人で、数では
劣っていました。
戦いに逃げ遅れた又五郎は、数馬、又右衛門らに取り囲まれて、
ついには、又右衛門がとどめを刺すことになりました。
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