ドイツによるオーストリア併合
ドイツによるオーストリア併合(アンシュルス)は、
1938年3月にナチス・ドイツがオーストリアを併合
した出来事です。
この出来事は、第二次世界大戦の重要な前兆の一つ
とされています。
アンシュルスは、第一次世界大戦後のオーストリア
=ハンガリー帝国の崩壊に伴い、ドイツと
オーストリアの統一を求める動きが強まったこと
から始まりました。
1938年、ナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラー
は、オーストリアをドイツに併合する計画を実行に
移しました。
オーストリア併合は、オーストリア国内での国民投票
によっても支持されましたが、実際にはナチスの圧力
が強く、オーストリア政府の抵抗もありました。
この併合により、オーストリアはナチス・ドイツの
一部となり、第二次世界大戦が勃発する一因となり
ました。
●背景
1. 第一次世界大戦後のドイツとオーストリア
1919年のヴェルサイユ条約とサン=ジェルマン条約に
よって、ドイツとオーストリアは分離され、
オーストリアのドイツへの合併(アンシュルス)
は禁止された。
しかし、オーストリア国内ではドイツ系住民が大半
を占めており、経済的にもドイツとの統合を望む声
があった。
2. ナチスの台頭とオーストリア国内の親ナチ勢力
1933年にヒトラーがドイツの首相となり、ナチ党が
権力を掌握。
オーストリア国内でも親ナチス的な勢力が台頭し、
オーストリア・ナチ党が活動を活発化。
3. 1934年の未遂クーデター
1934年、オーストリアの独裁的な首相エンゲル
ベルト・ドルフースが、ナチスの影響を警戒して
ナチ党を弾圧。
これに対し、オーストリア・ナチ党がクーデター
を企てるが失敗し、ドルフースは暗殺される。
4. 1938年の政治的圧力
1938年2月、ヒトラーはオーストリア首相クルト・
シュシュニックに圧力をかけ、オーストリア・
ナチ党を政府に入れるよう強要。
シュシュニックは、国民投票によって
オーストリアの独立を守ろうとするが、
ヒトラーはこれを阻止。
●アンシュルスの実行
1938年3月12日:ドイツ軍の進駐
ドイツ軍がオーストリアに進軍し、無血で占領。
翌3月13日、ヒトラーは「オーストリア併合」
を正式に発表。
4月10日:国民投票
ドイツによる併合を承認する国民投票が行われ、
99.7%が賛成(ただし、ナチスによる大規模な
圧力があった)。
●影響
国際社会の反応
イギリスとフランスは抗議したが、実質的な
行動は取らなかった。
ソ連も批判したが、直接的な介入はせず。
国際連盟(現在の国連の前身)は無力だった。
ナチス・ドイツの勢力拡
オーストリアを併合したことで、ドイツの国力
(経済・軍事)が強化。
次の標的として、チェコスロバキアの
ズデーテン地方への干渉が始まる
(ミュンヘン会談(1938年9月))。
オーストリアのユダヤ人弾圧
併合後、オーストリア国内のユダヤ人が激しく
迫害され、多くが亡命。
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