保元の乱
保元の乱(ほうげんのらん)は、1156年に起こった
日本の内乱です。
皇位継承問題と藤原摂関家の内紛が複雑に絡み合い、
朝廷が二つに分裂して武力衝突に至りました。
この戦いは、皇位継承問題や摂関家の内紛が原因で、
後白河天皇側と崇徳上皇側が対立しました。
結果として、後白河天皇側が勝利し、崇徳上皇は
讃岐に流されました。
この乱は、武士の力を借りて解決されたため、武士
の地位が向上し、後の武家社会の基盤を築くきっかけ
となりました。
興味深いのは、この乱がわずか1日で終結したことです。
後白河天皇側の奇襲攻撃が成功し、崇徳上皇側は
壊滅的な打撃を受けました。
●背景
皇位継承問題:
鳥羽法皇と崇徳上皇の対立が根底にありました。
鳥羽法皇は、自身の寵愛した皇后・美福門院との間に
生まれた近衛天皇を溺愛し、崇徳上皇との関係は悪化
していました。
近衛天皇の崩御後、鳥羽法皇は崇徳上皇ではなく、
自身の皇子である後白河天皇を即位させました。
藤原摂関家の内紛:
藤原忠通と弟の藤原頼長が対立していました。
忠通は後白河天皇を支持し、頼長は崇徳上皇を支持
しました。
経過
鳥羽法皇の死後、崇徳上皇と後白河天皇の対立が表面化
しました。
藤原摂関家の内紛も加わり、朝廷は二つに分裂しました。
後白河天皇側には、源義朝、平清盛らが付き、
崇徳上皇側には、源為義、平忠正らが付きました。
戦は、後白河天皇側の勝利に終わり、崇徳上皇は讃岐国
(現在の香川県)へ流罪となりました。
●影響
朝廷の権威が失墜し、武士の力が台頭するきっかけと
なりました。
源氏と平氏が朝廷内の権力闘争に関与し、後の平治の乱
へと繋がりました。
この乱をきっかけに、武士が政治の表舞台に登場し、
やがて武家政権へと繋がっていきます。
保元の乱は、日本の歴史における大きな転換点の一つで
あり、その後の武家政権の成立に大きな影響を与えました。
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