南方作戦
南方作戦(なんぽうさくせん)とは、1941年12月8日の太平洋戦争
開戦と同時に日本軍が開始した、東南アジア一帯への大規模侵攻
作戦の総称で、目的は“米英勢力の排除”と“南方資源地帯の
確保”でした。
主目標はマレー・フィリピン・ジャワで、最終的には蘭印
(インドネシア)の石油資源を押さえることが中心に据えられて
いました。
日本は戦争遂行に必要な石油やゴムなどの資源を確保するため、
資源の豊富な東南アジア地域への進出を計画しました。
当時、これらの地域は欧米列強の植民地でした。
●南方作戦の目的
米英の主要拠点(香港・マニラ・シンガポール)を撃破し、
東アジアから排除すること
石油・ゴム・錫などの南方資源地帯(スマトラ・ジャワ・
ボルネオなど)を確保すること
最終目標はジャワ島の制圧
●作戦区分(陸海軍中央協定による名称)
E作戦 — マレー作戦
M作戦 — フィリピン作戦
C作戦 — 香港作戦
G作戦 — グアム作戦
R作戦 — ビスマルク作戦
B作戦 — 英領ボルネオ作戦
H作戦 — 蘭領印度(インドネシア)作戦
●作戦の流れ(1941年12月〜1942年春)
1. マレー作戦(12月8日)
日本軍はコタバルに奇襲上陸し、英東洋艦隊の主力「プリンス・
オブ・ウェールズ」「レパルス」を航空攻撃で撃沈。
その後シンガポールへ南下し、わずか70日で“難攻不落”の
シンガポールを陥落させた。
2. 真珠湾攻撃(12月8日)
南方作戦と同時進行で行われた奇襲。
米太平洋艦隊に大損害を与え、南方作戦の進行を容易にした。
3. 香港攻略(12月8〜25日)
短期間で英軍を降伏させ、香港を占領。
4. フィリピン作戦(12月〜翌5月)
マニラを占領するも、バターン半島・コレヒドール島で激戦。
最終的に米比軍は降伏。
5. グアム・ウェーク島・ラバウル攻略
中部太平洋の米軍拠点を次々と制圧。
6. 蘭印(インドネシア)攻略(1942年1〜3月)
ジャワ島を中心に油田地帯を占領し、南方作戦の最終目的を達成。
●成果と影響
●初期の成果
日本軍は短期間で広大な地域を制圧
捕虜16万人以上を獲得し、日本側の戦死者は1万人未満
●長期的な問題
占領地の統治・補給が破綻し始める
バターン死の行進など、捕虜・住民への深刻な被害
ゲリラ戦の激化
ガダルカナル以降、戦局は逆転
●南方作戦の歴史的意味
南方作戦は、日本軍が最も勢いを持っていた時期の象徴であり、
同時に資源確保を目的とした短期的成功が、長期戦での破綻
を招いた典型例でもあります。
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