壇ノ浦の戦い
壇ノ浦の戦いは、平安時代の末期の元暦2年3月24日(1185年)
現在の山口県下関市の壇ノ浦で行われた源氏と平家の合戦です。
1183年に、平家は源義仲に攻められて都を落ちて、1184年の
一ノ谷の戦いで大敗を喫して海に逃れることになります。
ここで、平家は讃岐国屋島と長門国彦島(山口県下関市)に拠点を
置くことになりました。
鎌倉政権は、源頼朝の弟である範頼に3万騎を率いさせて、平家軍の
背後を遮断する作戦を行いました。
1185年2月には、源義経は屋島の戦いで奇襲によって屋島を
攻略しました。
屋島の戦いに勝利した源義経は、最後の決戦の地である壇ノ浦へと
進軍していきます。
屋島の戦いで平家軍が敗北したことを知った周辺の人々の中には、
義経に味方する者も増えてきました。
このようにして、源義経の水軍も強力な兵力へとなっていきました。
平家軍も彦島から水軍を出動させて、ここにおいて、海上で平家軍と
義経軍が衝突することになります。
壇ノ浦の戦いは、源平合戦における最後の戦いであり、源義経が率いる
源氏が勝利しました。
平家一門は捕らえられて、これまでにおいて栄華を誇ってきた平氏は
滅亡することになり、ここにおいて治承・永寿の乱は、ついに幕を
閉じることになりました。
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