ちくわの歴史
ちくわは、日本で古くから親しまれている魚肉練り
製品の一つです。
その歴史は非常に古く、現在の「かまぼこ」の原型
とも言われています。
ちくわの歴史は非常に古く、その起源は約1700年前
にまで遡ると言われています。
もともとは蒲鉾(かまぼこ)の一種として発展し、
江戸時代にその切り口が「竹の輪」に似ていること
から「竹輪(ちくわ)」と呼ばれるようになりま
した。
神功皇后の時代には、魚のすり身を鉾の先に付けて
焼いて食べたという伝説があり、これが蒲鉾の原型
となったと考えられています。
その後、江戸時代に入り、武士と商人の間で蒲鉾を
食べることに関する文化的な変化があり、「竹輪」
という名称が定着しました。
現在では、愛知県豊橋市や徳島県、青森県などが
ちくわの名産地として知られています。
特に豊橋市の「ヤマサのちくわ」は、約200年前に
創業され、ハモやグチ、エソなどの高級魚を使用
した上品な味わいで人気を博しています。
●蒲鉾(かまぼこ)の原型としてのちくわ
ちくわの歴史は、今から約1700年前、神功皇后の時代
にまで遡るとされています。
伝説によると、神功皇后が九州の小倉付近を訪れた際、
鉾の先に魚のすり身を付けて焼いて食べたという記録
があります。
この食べ物が、植物の「蒲の穂(がまのほ)」によく
似ていたことから、「蒲穂子(かまぼこ)」と呼ばれ、
現在の「かまぼこ」の原型になったと言われています。
この「蒲の穂」に似た形は、まさに現在のちくわの形
とそっくりであったため、その昔「かまぼこ」と
呼ばれていたものが、現在のちくわの始まりだったと
考えられています。
●文献への登場と「竹輪」への名称変化
文献に「蒲鉾」が登場するのは室町時代になってから
です。
享禄元年(1528年)に著された「宗吾大双紙」には、
「かまぼこはナマズ本也、蒲の穂に似せたるなり」と
記されています。
時代が下り江戸時代になると、板の上にすり身を盛り
付けて加熱する「板蒲鉾」が現れました。
これと区別するために、切り口が「竹の輪」に似て
いることから、初期の「蒲鉾」が「竹輪蒲鉾」と
呼ばれるようになり、省略されて「竹輪」という名
が定着していったとされています。
●地域ごとの発展
江戸時代末期には、吉田(現在の愛知県豊橋市)で、
四国の金毘羅参りで見たちくわをヒントに、伊勢湾産
のエソやトビウオを使った「生ちくわ」が作られ始めた
と言われています。
この「生ちくわ」は、ちくわの穴に塩を詰めて塩漬け
にする「塩ちくわ」として、信州方面へも運ばれ、
貴重なタンパク源として重宝されました。
また、明治時代には、宮城県気仙沼市で現在の
「焼ちくわ」の原型が作られ始めたとされています。
焼き目がボタンの花に似ていることから「ボタン焼」
という名称もありました。
その他、日本各地には、
野焼きちくわ(出雲地方): トビウオを棒に巻きつけ
てあぶり焼きにする。
竹付きちくわ(徳島県): 青竹にすり身を手付けして
焼く。
豆腐ちくわ(鳥取県): すり身に豆腐とでんぷんを
加えて蒸して作る。
など、地域独自のちくわが発展しました。
●現代のちくわ
戦後、栄養改善のためにビタミンを配合した
「ビタミンちくわ」が登場し、健康食品として
広く受け入れられました。
現在では、ちくわは日常の食卓に欠かせない食品
として、様々な料理に活用されています。
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