米の歴史
米の歴史は非常に長く、特にアジアを中心に人々の
暮らしと深く結びついてきました。
日本における米の歴史は、約3000年前の縄文時代
後期にまで遡ります。
米の歴史は非常に古く、約6000年前にインドの
アッサム地方で誕生したとされています。
そこから西南アジア、西アジア、アフリカへと広
まり、中国には約5000年前に伝わりました。
日本には縄文時代後期に稲作が伝わったと考えられ
ており、福岡市の板付遺跡や青森県の田舎館遺跡
には水田の跡が残っています。
弥生時代には稲作農業が完成し、農耕集落が形成
されました。
飛鳥時代には国が田んぼを民に与え、税として
米を納める制度が確立されました。
奈良時代には「墾田永年私財法」が制定され、
開墾した田んぼを私有地として認める制度が始まり
ました。
江戸時代には米が貨幣の代わりとして使われ、
武士の給料も米で支払われることがありました。
明治時代になると税金が米から現金へと変わり、
政府の収入が安定しました。
戦時中には食糧不足により米が国家管理となり、
戦後は小麦の大量輸入によって不足を補いました。
●世界の米の起源と伝播
イネの起源: 稲の栽培は、およそ9,000年前~8,000年
前に中国の長江(揚子江)の中・下流域で始まったと
されています。
この地域からは、イネの籾や茎の化石、さらには
6,000年前の田んぼの跡も発見されています。
アジアへの広がり: イネは、長江流域からアジア
各地へと広がっていきました。
●日本における米の歴史
縄文時代後期(約3,000年前): 大陸から稲作が伝来
したと考えられています。
伝来ルートは複数説ありますが、中国の江准
(こうわい)地帯から朝鮮半島南部を経て
伝わった説が有力です。
福岡市の板付遺跡や青森県の田舎館遺跡からは、
この時代の水田跡が発見されています。
当初は野生のイネの種子をまき、収穫する原始的な
稲作でした。
弥生時代: 稲作農業は大きく発展し、完成期を
迎えます。
静岡県の登呂遺跡からは、杭で補強され、畦で
区切られた弥生水田や用水路が発見されており、
大規模な稲作が行われていたことがうかがえます。
この時代から、米は単なる食料を超え、余剰を
生み出す社会、ひいては日本の国家の始まりと
深く関わっていきます。
古墳時代: 稲作がさらに広範囲で行われるよう
になり、農具や水路も発達しました。
古墳造営のような大規模な土木事業を支える
食料源としても、米は重要な役割を担いました。
飛鳥・奈良・平安時代: 米は富と権力の象徴と
なっていきます。
国が土地を人々に割り当て、その土地で取れる
米を税として徴収するようになりました。
奈良時代には白米が貴族の間で主食となり、
「しらげのよね」と呼ばれました。
しかし、庶民は精白度の低い「黒米」などを
食べていました。
鎌倉時代: 田んぼの土地支配が武士の手に移り、
米の生産力が武士の経済的、軍事的、政治的な
力を左右するようになりました。
江戸時代: 徳川幕府は米を経済の中心とする
体制を築きました。
大名の格付けは米の収穫量(石高)によって
行われ、例えば加賀藩は「加賀百万石」と
呼ばれました。
徴収された米は現金化され、経済活動の基盤
となりました。
この時代には、新田開発が盛んに行われ、
品種改良や農機具(千歯扱きなど)の開発も
進み、生産性が向上しました。
しかし、悪天候による不作は飢饉を引き起こし、
多くの人々を苦しめました。
明治時代以降: 明治政府は税の徴収を米から
お金へと変更しました。
また、近代国家として農作物の生産力向上を
目指し、本格的な品種改良が開始されました。
これにより、現在のような多様な品種が生まれ、
米の生産量も大幅に増加しました。
●米の食文化の変遷
初期: 脱穀・精米が不完全な状態で、土器で
煮て食べられていたと考えられています。
その後: ある程度精製された米を「蒸す」のが
一般的になりました。
これは、熱効率の悪さから煮る方法では時間が
かかりすぎたためと考えられています。
奈良時代: 精白された白米が貴族階級の間で
食べられるようになりました。
しかし、精米は重労働であったため、庶民には
難しかったとされます。
江戸時代後期: 精米技術の進歩や米の増産に
より、庶民も白米が食べられるようになりま
した。
また、1日3食の習慣も定着し、現代に近い
食生活が完成しました。
米は、単なる食料としてだけでなく、日本の
歴史、社会、文化、経済、信仰に大きな影響
を与えてきた重要な存在です。
豊穣への祈りや季節の行事など、米作に
まつわる文化も深く根付いています。
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