ワーテルローの戦い
ワーテルローの戦いは、ベルギーのワーテルロー近郊において
イギリスやオランダなどはじめとする連合軍とプロイセン軍が
一緒になり、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの率いる
フランス軍とが激突した戦闘です。
プロイセン軍は、現在のドイツ北部からポーランド西部にかけて
を領土としていて、首都はベルリンにありました。
ナポレオン・ポナパルトは、1815年にエルバ島を脱出して
パリに帰還してから、フランス軍を再編成しました。
そして、その年の6月には、ウエリントン侯爵の率いる英蘭連合軍
に対抗するために、12万人ものフランス軍をワーテルローへ出陣
させました。
イギリス軍の兵力は9万以上であり、同盟側のプロイセン軍は
12万もの兵力を動員しています。
フランス軍12万と英蘭・プロセイン連合軍21万とがワーテルロー
で対戦することになったのです。
イギリス軍は、優位な体制をとる手段として、高地に陣を張って
いたために、高台から見下ろすことになり、フランス軍へ正確な
射撃が可能になりました。
戦いの早朝には雨が降っていたために、地面が泥沼化して、大砲を
容易に運ぶことができず、ナポレン側にとってはかなり不利な体勢
になりました。
このような地面が泥沼化した状況の中で、フランス軍の側面から
プロイセン軍が攻撃をしかけてきました。
この側面からのプロイセン軍の攻撃は、ナポレオン側には致命的になり、
一度に4万人もの戦死者を出したため、ついに総退却をすることに
なりました。
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