重巡インディアナポリスの最後
1945年7月30日、重巡洋艦インディアナポリス号は、
日本軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて、フィリピン海に沈没
しました。
重巡インディアナポリスには、極秘物資である原爆をテニアン島
に移送する任務があったのです。
当初は、その極秘物資が何であるかを、艦長にさえも知らされて
いませんでした。
たとえ、艦が沈められるようなことがあったとしても、絶対に
その極秘物質だけは他の艦艇に移すように厳しく言いわたされて
いました。
極秘物質の中身とは、後にヒロシマに降下する原爆だったのです。
しかし、このことを知っている人は、トルーマン大統領、イギルス
首相のチャーチルとオッペンハイマー博士のグループのみでした。
オッペンハイマー博士とは、原爆開発のマンハッタン計画のに
加わった人物です。
1945年7月16日、インディアナポリスは、サンフランシスコ湾
を出港しました。
極秘任務のため、インディアナポリスは、重巡洋艦のため、潜水艦に
対する防備はありませんでした。
戦艦や重巡の場合には、通常は駆逐艦が一緒に伴うことが当然の
ことになります。
しかし、インディアナポリスは、極秘任務のため護衛の駆逐艦は
伴っていませんでした。
このことが最終的には悲劇につながることになります。
インディアナポリスは、潜水艦に出くわすことなく、無事にテニアン島へ
原爆を届けることができました。
しかし、すでに極秘任務はこれで終了したにもかかわらず、軍司令部は
帰還時においても、インディアナポリスに駆逐艦の護衛を付けないよう
に命じたのです。
これには、インディアナポリスの艦長でさえも、首をかしげることに
なりました。
そして、当然ながら、日本の潜水艦に発見されて撃沈されることに
なったのです。
海に投げ出された多くの乗組員がサメに襲われて死亡しました。
艦長は命拾いをして、後に裁判に出廷することになります。
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