コソボ紛争
コソボ紛争は、ユーゴスラビア内戦において、バルカン半島南部
にあるコソボで発生した2つの武力衝突のことです。
コソボは、旧ユーゴスラビア時代のセルビア共和国の自治州で
あったのが、共和国側が自治権を縮小しました。
コソボは、長い間、セルビア共和国内のコソボ自治州となっており、
コソボの独立を目ざそうとするアルバニア系住民と、それを認めない
セルビア当局の争いが続いてきました。
そして、連邦治安部隊とゲリラ組織を中心とするアルバニア系
住民との武装衝突へと発展していきました。
20世紀を通して、セルビア人、アルバニア人の間には、絶えず
民族間の対立があり、大規模な暴力行為につながっていきました。
コソボでは、アルバニア人の民族主義が拡大していき、分離主義
によって、アルバニア人とセルビア人の民族間の緊張は次第に
高まっていきました。
コソボを去っていったセルビア人の一部分は、アルバニア人にり
追放された人たちでした。
セルビア軍は兵力の上では、優位にたっていたものの、コソボ解放軍
の多くの部隊を壊滅することはできませんでした。
この間に、アルバニア人側には死者や重傷者も多く出ています。
最終的には、国連安保理決議が採択されて、これ以降は、コソボは
国連の暫定統治機構による暫定統治下におかれることになりました。
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