川中島の戦い
川中島の戦いは、甲斐(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄
と越後(現在の新潟県)の大名である上杉謙信(長尾景虎)との間
で行われた戦いです。
この戦いは、川中島において、日を改めて何度も行われました。
この何回かの戦いにおいて、最大の激戦となったのは、川中島の
中の千曲川と犀川が合流する三角状の平坦地の場所であると
言われています。
川中島の戦いは、12年間にわたって、5回行われました。
この5回のの中で、実際に戦いが行われたのは、第2次の犀川の
戦いと第4次のみでした。
他の3回の戦いは、両者のにらみ合いだけで終わってしまい、
実際の戦闘は行なわれませんでした。
だから、川中島の戦いといえば、永禄4年9月9日(1561年10月17日)
からの10日間の第4次の戦いを指すことになります。
武田信玄が次々と領土を拡大していき、北信濃も攻略しようとす
る企てに対して、豪族たちを助けるため、上杉謙信が立ち上がって、
この信玄の進攻をを阻止すべく戦いが行われました。
第4次の戦いでは、双方が総力戦を展開したため、勝敗がどのように
なったのかわからないほどの激戦となりました。
この戦いで、信玄と謙信の一騎打ちがあり、謙信が剣を振り回して
信玄の肩を切りつけたと言われていますが、その真偽は確かでは
ありません。
最終的には、戦いの決着はつかず、この川中島における長期の戦い
において、上杉・武田の両兵力の多くを失うことになりました。
これにより、織田信長に上洛の先を越される結果となって
しまいました。
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