武田信玄の食事
もともと甲斐は領内の大半を山地が占め、平地が少ないため、
灌水(かんすい:水を注ぐこと)が必要である田んぼを多く
作ることができませんでした。
そこで、武田信玄は小麦や大麦、粟(あわ)、黍(きび)、
稗(ひえ)、そばなどの雑穀を畑で作らせることで国を
豊かにしようとしました。
武田信玄は、戦国時代の合戦に明け暮れた武将であり、
「甲斐の虎」と称されました。
武田信玄が主に食べていたのは、ご飯や味噌汁などの主食で
あり、それに季節の野菜や山菜、魚や肉などが添えられていた
と推測されます。
当時の日本の食事は、米を主食とし、それに漬物や野菜、豆腐、
海藻などが添えられるのが一般的でした。
また、武将の食事には肉も含まれていたと考えられますが、
それは一般的には高級な食材であり、日常的には食べられない
こともありました。
武田信玄が自らの健康や体力維持のために、食事に特別な注意
を払っていたかどうかは不明です。
武田信玄の食事については、以下のようなものが知られています。
●ほうとう:
信玄が陣中食として愛用していたのが、山梨名物の「ほうとう」です。
うどんに近い「ほうとう」は、麺を作る際に塩を使わない特徴が
あります。
甲斐国の海のない土地で塩を使わずに作れるように考案された
料理です。
●アワビの煮貝:
信玄が愛し好んだ食べ物は、現在山梨県の郷土料理となっている
「アワビの煮貝」です。
甲斐国は海のない地域でしたが、信玄はアワビの栄養に目を付け、
今川氏の領地である駿河湾からアワビを仕入れていました。
アワビを醬油漬けにして長期保存が効くようにして甲斐まで運ばせた
と言われています。
●味噌:
信玄は味噌も好きでした。甲斐は米が取れなかったため、信玄は
大豆の生産を奨励しました。
塩が取れない甲斐で味噌を塩分として使用し、ほうとうにも味噌
が使われていました。
●主食
信玄の主食は、当時甲斐国で広く栽培されていた雑穀である「あわ」や
「ひえ」でした。
米は貴重品であり、戦時以外は日常的に食べるものではありません
でした。
●おかず
おかずは、野菜や山菜、魚介類などが中心でした。
肉類は、狩猟で得た鹿や猪などの獣肉を食べることもありましたが、
それも頻繁ではありませんでした。
●保存食
戦に出る際には、保存食として「ほしいも」や「干し柿」などを
携帯していました。
信玄の好物として有名なのが、「ほうとう」です。
ほうとうは、小麦粉を練って平らに伸ばした麺を、味噌仕立ての
汁で野菜などの具材と一緒に煮込んだ郷土料理です。
信玄の食卓は質素なものでしたが、栄養バランスはしっかりと
考えられていたと言われています。
また、信玄は食事の際には常に家臣と共にしており、食事の時間
をコミュニケーションの場としても大切にしていました。
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