コメット機の事故
1953年から1954年にかけてイギリスのデ・ハビランド社製
の世界最初のジェット旅客機の「コメット機」が連続墜落事故を
起こしています。
この一連の航空機事故は、機体の金属疲労による構造上の欠陥に
よって空中分解した事故です。
コメット機は、1946年にこれまでのプロペラ機に代わって
ジェットエンジンを搭載した小型郵便輸送機として開発されました。
デ・ハビランド社で開発と製造が行われ、4発ジェット旅客機として
1949年7月に初飛行しました。
振動の少ないジェットエンジン搭載で、高高度での飛行を行うために
与圧客室を持っていて、居住性が高めらることになりました。
世界初のジェット旅客機として就航したコメット機は、当初は順調な
運行となりました。
しかし、パイロットは、これまではプロペラ機を操縦していたため
後退翼ジェット機での操作にも不慣れであったため、離着陸時での
事故も多く発生しました。
1954年1月10日、ローマを離陸したジェット旅客機コメットは
地中海エルバ島近くの高度約8,000メートル上空で、空中分解を
起こして墜落をし、35名の搭乗者全員が死亡しました。
海中に墜落したコメット機を引き上げて調査したところ、自動方向探知機
のアンテナ窓に、疲労破壊による損傷が発見されました。
調査結果により、与圧客室に繰り返し荷重が加わったために、金属疲労に
よって破壊したことが判明しました。
コメット機の 窓の形状は現在の旅客機の機体のような長楕円形のもの
とは異なっていたため、窓コーナー部に集中荷重がかかりやすくなり、
疲労によるき裂が発生しやすい状態にありました。
デハビランド社はこれらの問題点を修復して、再度、開発を行いましたが、
すでにジェット旅客機の世界市場は、完全にアメリカのものとなって
いました。
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