レーガン大統領 暗殺未遂
レーガン大統領 暗殺未遂事件は、1981年3月30日に、アメリカ
のワシントンD.C.において、当時のアメリカ大統領ロナルド・
レーガンが銃撃された事件です。
レーガン大統領を銃撃したのは、テキサス工科大学の学生だった
ジョン・ヒンクリーです。
彼は、この時点において神経衰弱となっていて、精神療法を
受けていたがが改善しない状態にありました。
ヒンクリーは、レーガンを銃撃するために3月29日にワシントン
D.C.に向かっていて、レーガンが30日の午後にワシントンD.Cの
ヒルトンホテルの会議場で講演することを知りました。
ヒンクリーは、当初は、この会議場での銃撃を予定していたが
警備が厳重のため、これを避けて、代わりに多くの群衆が取り
巻いている会場外で銃撃することにしました。
午後2時過ぎに、レーガンは会議場での講演を終えたてから
シークレットサービスや警護の警官たちと一緒に出口を出ました。
そして、レーガン大統領が大統領専用車に向かおうしているときに
ヒンクリーは、警備のわづかのスキを見てレーガンを銃撃しました。
そのときに使ったのは、回転式6連発拳銃のレームRG14であり、
弾の6発すべてを発砲しました。
銃弾は専用車の車体に当たってから、その弾が跳ね返ってから
レーガンの左胸部に命中しました。
さらに、他にも、ワシントンD.C.首都警察のトマス・デラハンティ
巡査とジェイムズ・ブレイディ大統領報道官にも弾が命中して
います。
ヒンクリーは、すぐさま警官とシークレットサービスに取り押さえ
られて、ヒンクリーは抵抗する素振りを見せませんでした。
このわづかの出来事は、何台かのテレビカメラで撮影されていて、
その一部始終が生中継されていました。
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