富士山の大量遭難事故
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1972年3月19日夜半から3月20日にかけて、富士山御殿場
ルートは、低気圧の襲来によって悪天候に見舞われて
いました。
この御殿場ルートを下山中の登山者が、低体温症や雪崩
により、18人死亡し、6人が行方不明になり、日本の
登山史上としては最悪の大惨事となりました。
この日は午前中は快晴であったのに、途中から天候が
急変して、強風が吹き始めて、霧も多くなってきました。
そして、みぞれに変わって、テントの中や寝袋に水が
浸み込んできました。
多くの犠牲者を出した原因は、厳しい気象条件下において
登山者が低体温症を引き起こしたことが主な要因である
ことがわかっています。
登山者は、18日に出発するときには、天気図を確認して
いて、特に問題はないと判断していたのだが、翌19日
には、日本海側を低気圧が通過して、春一番が発生する
状態でした。
風速は最大で40m以上になり、気温そのものは、春一番
で例年よりも10℃も高くなっていました。
しかし、風冷効果によって、実際の人間が感じる体感温度は
極端に低下して、登山者は、マイナス40℃以下の低温に
さらされたのと同じ状況に遭遇していました。
登山者は、防寒具に対しては、ある程度は備えていたが、
みぞれ雨に対する備えがなかったために、体を濡らしたために
低体温になってしまいました。
ここで、体力を消耗した状態で、登山者たちは山小屋に避難
しました。
ここで、風雨が一時的に弱まったために、山小屋を去り下山を
強行しました。
しかし、この判断ミスにより、登山者たちは、途中で雪崩に
遭遇することになります。
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