パレンバン落下傘・降下作戦
スマトラ島の南部にあるパレンバンには
インドネシアの85%の石油を生産していた
製油所があった。
資源の乏しい日本が戦争を持続するためには
油田を制圧して、石油供給基地を確保する必要があった。
1942年2月14日の朝、500人の日本軍の落下傘部隊は
マレーシア南部のカハン飛行場を飛び立ち、
パレンバンを目指した。
そして、バン上空に侵入して、落下傘降下が始まった。
落下開始時の高度は約200メートルという低空であった。
普通の落下傘で降下する高度の半分以下の低空である。
地上で待ち構える連合軍は、
英軍とオランダ軍とを合わせて2千人である。
落下傘部隊が着地後は、待ち構えていた敵兵と戦闘が始まった。
パレンバン作戦での日本兵の戦死者数は34人と言われている。
一晩の間続いた戦闘の後の、連合軍はパレンバンから撤退した。
ここにおいて、日本軍の奇襲作戦は成功し、
製油所を制圧することになった。
この奇襲作戦の出来事のニュースは、
日本国内で大々的に報道された。
パレンバン奇襲
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