トラック島空襲
トラック島空襲は、太平洋戦争中の1944年2月17日
から18日にかけて、アメリカ軍機動部隊が実施した
日本軍の拠点トラック島への攻撃です。
アメリカ軍の作戦名はヘイルストーン作戦で、
エニウェトク環礁攻略を目的としたキャッチポール
作戦の支作戦でした。
トラック島は、ミクロネシア連邦チューク州に属する
環礁であり、太平洋戦争前は、日本軍の太平洋における
前線基地として重要な拠点とされていました。
当時、トラック島には、戦艦大和や長門など、日本海軍
の最新鋭艦艇が集結していました。
また、約1,000機の航空機が配備されていました。
空襲は、2月17日早朝、アメリカ軍機動部隊の空母9隻
から発進した約200機の艦載機によって開始されました。
アメリカ軍機は、トラック島の飛行場や港湾施設、艦船など
を次々と攻撃し、大きな被害を与えました。
空襲は、2日間にわたって続き、日本軍は、航空機279機、
艦船10隻、輸送船31隻を失いました。
また、日本軍兵士は、約2,000人が死亡または行方不明と
なりました。
トラック島空襲は、日本軍にとって大きな打撃となりました。
日本海軍の最新鋭艦艇が壊滅したことで、日本軍の太平洋に
おける戦略的優位性は失われ、アメリカ軍の反攻を前に、
戦局は大きく傾いていくことになりました。
トラック島空襲は、太平洋戦争における転換点の一つとして
位置づけられており、アメリカ軍の勝利を大きく後押しする
要因となりました。
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