Tu-144 の事故
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1978年5月23日にフランスのル・ブルジェ空港でのパリ航空
ショーにおいて、ツポレフTu-144が不時着事故を起こしました。
航空ショーでのデモ飛行中に、ツポレフ Tu-144Dが機内で火災を
起こしたため、パイロットは平野へ不時着するように操縦しました。
この不時着により機体は大破して、炎に包まれて、乗員8人中2人が
死亡したが、6人は救助されました。
Tu-144といえば、ソ連のツポレフ設計局で設計・製造された超音速
旅客機であり、イギリスのコンコルド超音速旅客機の後発として
登場してきたものです。
Tu-144の外形は、コンコルドをそのままコピーしたように類似して
います。
Tu-144は、事故の当日、2回目のテスト飛行を行っていました。
最初の1回目では、マッハ2の超音速で飛行を行ないました。
搭乗員は、テストパイロット2人、ナビゲーター1人、航空機関士
2人、さらに、テストエンジニアが3人の計8人が搭乗していました。
マッハ2の超音速飛行で成功した後は、補助動力装置(APU)のテスト
を開始しました。
それから、しばらくして火災警報がコックピットで作動して、これは
第2エンジンで火災を起こしたことがわかりました。
ただちに、消火装置を作動させて、副操縦士の操縦によりは、機体を
180度大きく旋回させて空港へ引き返そうとしました。
しかし、機体は炎上しており制御が難しいほどの状態になっていました。
パイロットは空港での着陸は不可能だと判断し、平野への着陸を試み
ました。
Tu-144は、時速400km/hの速度で牧草地へ不時着し、航空機関士
2人が着席していた場所は破壊されて、2人とも死亡しました。
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