空母 飛竜
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飛龍は旧日本海軍の中型空母であり、1942年(昭和17年)
のミッドウェー海戦にて沈没しました。
当初は空母蒼龍の同型艦として計画されたが、軍縮条約
を破棄することにより設、計の自由度が増したために
飛行甲板幅を1メートル広げ、て艦幅を若干太くしました。
空母飛竜の全長は210mで、最大横幅は21mです。
飛竜は、空母赤城と同様に、左舷中央に島型艦橋を配置
していることです。
飛竜は、1941年12月の真珠湾攻撃にも参加しています。
真珠湾攻撃での第一次攻撃隊の第一波では、九七式艦攻が
18機、第二波では、九九式艦爆18機が参加して、いづれの
艦載機もすべて帰還しています。
飛竜は、1942年にミッドウエー海戦にも参加し、空母
エンタープライズとヨークタウンから飛び立ったSBDドーント
レス急降下爆撃機24機の集中攻撃を受けることになります。
空母赤城、加賀、蒼龍の空母が沈没していく中で、飛竜は
奮闘していました。
ここで、1,000ポンド爆弾4発が被弾しました。
飛龍は、懸命の消火活動を行うにもかかわらず、機関部などを
損傷し、ついにこの艦を放棄することを決定しました。
山口多聞司令は、総員を飛行甲板に集合させて、総員退去命令
を出しました。
そして、山口多聞少将と加来止男飛龍艦長の2人は、飛龍と
運命を供にすることになりました。
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