レニングラード包囲戦
レニングラード包囲戦とは、1941年9月8日から1944年1月27日に
起きた第二次世界大戦の独ソ戦における戦いです。
レニングラードは、現在はサンクトペテルブルクという名前に
変わっています。
1941年6月22日に、ドイツ軍が独ソ不可侵条約を破棄して、ソ連
に侵攻を開始しました。
開戦からわずか数日間で、ソ連は保有している航空機の3割ほど
を失うことになりました。
また、国境近くの主要な鉄道拠点を100ケ所以上も失うことに
なり、各地で鉄道網がマヒしました。
このときのドイツ同盟軍の兵力は、550万人を超えていました。
ヒトラーは、反共産主義を唱えていて、最初に狙ったのがレーニン
の名前をちうけられてレニングラードだったのです。
ドイツ軍は。ソビエト連邦の第2の大都市であるレニングラード
を900日間にわたって包囲しました。
ドイツ軍司令部の方針は、通常の方法で占領するのではなくて、
ソ連市民を餓死させる方法をとりました。
ドイツ軍は、市民を餓死させるために、どれだけの期間封鎖を
続ける必要があるかを調査していました。
そして、現実的にソ連市民が餓死する状態に追い込まれて
いきました。
レニングラードはドイツ軍の包囲に耐え抜いて、後にスターリン
によって統治されることになりました。
しかし、この包囲戦によって、ソ連の市民は100万人以上が
死んだと言われていて、その死亡原因のほとんどが餓死による
ものです。
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