ロシアによる大韓航空機撃墜
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大韓航空機撃墜事件は、1983年9月1日にソ連防空軍の
戦闘機により、大韓航空のボーイング747が撃墜された事件
です。
このロシアによる大韓航空機撃墜事件は、まぎらわしいのですが
1987年の金賢姫による時限爆弾での大韓航空機爆破事件とは
別の事件です。
この事件の発端は、大韓航空のボーイング747-230がソ連の領空を
侵犯したために、ソ連防空軍のMig-23戦闘機により撃墜されて、
乗員と乗客を合わせて269人全員が死亡しました。
ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空機は、北海道の稚内の自衛隊
レーダーに、ソ連領空に入った状態をとらえていました。
さらに同様に、ソ連の戦闘機の機影もとらえていました。
自衛隊の無線傍受により、ソ連機による大韓航空機の撃墜が明らか
になりました。
このことでソ連は世界中から非難を浴びることになり、これに対して、
ソ連側は大韓航空がスパイ機であると勝手に決めつけて撃墜した
のは当然のことであると主張しました。
これまでは、米ソの関係もよい方向に進みかけていたところを
この事件をきっかけに、米ソ関係を悪化するようなきざしになって
きました。
さらに、交信記録が残っているブラックボックスを回収した後も
ソ連側は事実を公表しなかったのです。
大韓航空機がソビエト領内に侵犯したのは、機内の慣性航法装置の
設定時において人為的なミスあるいは作動に不具合が生じたためと
言われています。
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