松川事件
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松川事件は、1949年(昭和24年)8月17日に福島県の旧国鉄
東北本線で起きた列車の妨害事件です。
この事件は、日本における戦後最大の冤罪事件の1つに挙げられて
います。
容疑者が逮捕されたにもかかわらず、その後の裁判で全員が無罪となり、
真犯人が特定されず、逮捕されるまでには至らず、最終的には未解決の
事件となりました。
このため、松川事件は、下山事件、三鷹事件と並んで第二次世界大戦後
の国鉄三大ミステリー事件のひとつと言われるようになりました。
この松川事件は、三鷹事件から約1か月後に悲惨な事件が起きています。
福島県信夫郡金谷川村を通過中だった青森発上野行き上り412旅客列車の
先頭の蒸気機関車が突然のごとく脱線転覆しました。
これにより、機関車の乗務員3人が死亡する事件になりました。
現場検証をしてみると、転覆地点付近の線路継目部のボルト・ナットが
緩められていて、継ぎ目板が外されているのが確認されたました。
この事件で、容疑者が何人か挙げられて、警察と検察によって松川事件の
犯人であるとでっち上げられました。
しかし、裁判が進行していくうちに、警察や検察による自白強要や偽証、
証拠隠滅などが発覚するようになり、被告や家族の無罪の訴えるように
なりました。
そこで、1958年には、全国的な組織の松川事件対策協議会が結成
されるほどまで拡がりました。
そして、被告の20人は、1963年9月の最高裁判決で全員無罪が
確定することになりました。
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