アクティウムの海戦
アクティウムの海戦は、紀元前31年にオクタウィアヌスのローマ軍と、
アントニウスとプトレマイオス朝のエジプトのクレオパトラの連合軍の間で
ギリシア沿岸の地中海で行われた海戦である。
アントニウスは、プトレマイオス朝のエジプトのクレオパトラ7世と結んで、
オクタウィアヌスのローマ軍に挑もうとした。
しかし、オクタウィアヌスとアントニウスはお互いに親戚同志であったため
オクタウィアヌスが宣戦布告したのは、アントニウスではなくて
クレオパトラに対する宣戦であった。
クレオパトラもアレクサンドリアから軍船を調達して、
自らが指揮してアントニウス軍を支援した。
アクティウム岬の沖では、両軍が500隻以上の艦船が参戦して戦闘が行われた。
アントニウス・クレオパトラ連合軍が兵員の数では勝っていたが、
クレオパトラの艦隊が途中で戦線を離脱したため、アントニウスも単独では
これ以上の交戦ができないと判断し、クレオパトラの艦隊を追うようなかたちで
戦線から離脱することになった。
ここにおいて、アントニウス軍は陸海ともに総崩れとなり、
オクタウィアヌスの勝利に終わった。
アントニウスは、エジプトの首都アレクサンドリアへと逃亡して、
その後、自害した。
クレオパトラもオクタウィアヌスに屈服するのを拒んで
コブラに自分の身体を噛ませて自害した。
オクタウィアヌスは、このアクティウムの海戦の勝利によって
地中海を統一することになった。
「歴史上の戦い」カテゴリーの関連記事