ドーリットルの初の東京空襲
太平洋戦争の中期の1942年(昭和17年)4月18日に、
空母ホーネットから飛び立ったB-25双発爆撃機
ミッチェル116機が初めて日本本土を爆撃しました。
爆撃の指揮をとったのは、ジミー・ドーリットル中佐
です。
日本軍の真珠湾攻撃以来、日本軍は太平洋戦域で快進撃
を続けていました。
このような中で、アメリカ軍部は国内の戦意を高めよう
と、日本本土の空襲を企てていました。
しかし、航続距離の短い通常の空母の艦載機においては、
これは不可能でした。
だからといって、日本本土をB-17やB-24で爆撃できる
ような島はこの当時では確保されていませんでした。
そこで、B-25双発爆撃機を空母から発進するという無謀な
計画がたてられたのです。
発艦はぎりぎりの状態でできたとしても、着艦はできない
ため、中国本土に着陸することになりました。
B-25の本体をできる限り軽量化して、発艦が可能になり
ました。
ジェームズ・ドーリットル中佐は、日本軍の哨戒線
ぎりぎりまで近づいて、空母ホーネットから16機
のB25を率いて飛び立ちました。
東京、川崎、横須賀、神戸、名古屋を爆撃することに
成功したのですが、帰りは中国大陸に不時着することに
なりました。
搭乗員はパラシュートなどで脱出したのですが、8人が
日本軍の捕虜になり、その中の3人は処刑されました。
「太平洋戦争」カテゴリーの関連記事