パラオ大空襲
パラオ大空襲は、第二次世界大戦末期の1944年3月に
米海軍の空母機動部隊によりパラオの日本軍に対する
大規模な空からの攻撃です。
ウォレアイ環礁・ヤップ島・ウルシー環礁も同時に攻撃
目標とされていました。
この米軍による大がかりな爆撃の目的は、ニューギニア島
のホーランジア上陸作戦をするための前準備でした。
アメリカ海軍の作戦名は、ディセクレイト・ワン作戦
(Operation Desecrate One)と呼ばれています。
パラオは日本海軍の重要な中継地であったが、停泊中の
輸送船・支援艦船が多数撃沈されることになり、その
機能を喪失しました。
米海軍は、日本軍によるパラオ島の復興をさせないようにする
ために、空母搭載機による機雷敷設が行われました。
アメリカ軍機による機雷の敷設は容易には処理できません
でした。
日本軍は、この爆撃よりも1ケ月以上前でのトラック島空襲と
同様に、このパラオ島でも大損害を出すことになりました。
この敗因の原因には、事前に敵機動部隊の接近に気付いてい
ながらも迅速な対応を行わなかったことにあります。
アメリカ海軍は、不時着した友軍パイロットの救助することと
脱出する日本艦船の撃破のために、潜水艦部隊も動員しています。
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