北朝鮮が金正恩第1書記の新体制に移行してからのその後。外貨使用の高級スーパーや高層マンション、ローラースケートで遊ぶ子供たち。国民生活重視を訴えようとする新体制の下で、首都平壌は変化し、経済的に経済的に豊かな層の消費が拡大していた。一般市民の生活に影が差している。 | |
北朝鮮の庶民の外食メニューには、どんな食べ物があるのだろうか?平安南道のある都市の市場の一角にあった食堂では、豆腐と麺類の他、豚肉の丼と、肝臓、心臓などモツ肉料理を売っていた。料理はあらかじめ作っておいて注文があると温出している。冬の露天食堂では、暖かいご飯とスープが人気だ。ご飯を注文すると辛く味付けした豆腐汁が付いてくる。焼酎も売っている。 | |
映画や音楽のような芸術は、北朝鮮ではもはや娯楽ではない。これらの他の国では娯楽でみなされているものは、北朝鮮の思想を宣伝するための単なるツールである。しかし、北朝鮮の地方の大きな都市では、新興富裕層が経営する娯楽施設が大繁盛だということである。駅前と市場周辺には、ゲームセンターなどの様々な娯楽施設が立ち並んでいる。 |
北朝鮮の脱北者が後で知ったこと
●北朝鮮で少女時代を過ごしたある脱北女性は
北朝鮮は世界で一番の国だと思い込んでいました。
彼女は、7歳のときに初めて公開処刑を目の当たりにしたのですが
このようなことは、当たり前のものだと思い込んでいたようです。
しかし、貧困な生活を毎日送っているうちに
北朝鮮が、いい国だということに対して疑問を抱き始めるようになり
ついには、家族と一緒にラオスへ逃亡することを計画します。
逃亡といっても、中国の警察にでも捕まれば、
北朝鮮に戻されて、最悪の場合は公開処刑されることになります。
彼女の家族たちはすべて中国のラオス国境付近で捕まり
投獄されることになりました。
彼女だけが逃げ切ることができたのです。
彼女は、幼い頃から、アメリカ、韓国、日本は敵国であると
洗脳されていました。
外国を知るTV番組も放映されないため、他の世界のことは
いっさい真実を知ることができなかったのです。
最終的には、彼女は韓国で、投獄された後の家族に
再会することができるようになりました。
しかし、家族全員が脱北はできて、韓国に住めるようになっても
お金も仕事も何もありませんでした。
幸いにして、家族一家は、多くの支援を受けることができて
とりあえづは、普通の暮らしを送ることができるようになりました。
いづれにせよ、家族が脱北できただけでも
将来に希望をもてるようになったことに変わりはありません。
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