フィリピンの戦い
フィリピンの攻略戦は、1941年12月8日の太平洋戦争勃発
から1942年5月にかけてフィリピンで行われた戦いです。
1942年6月9日までに孤立した部隊を除いて、連合国軍の
全部隊が降伏して戦闘は終了しました。
これは、後のGHQ総司令のダグラス・マッカーサーが指揮をとった
戦闘です。
マッカーサーは、このフィリピンの地を去るときに、有名な言葉の
“I shall return” (私はまた戻って来る)を言い残しています。
戦闘で捕虜となった7万人もの米軍とフィリッピン軍を、日本軍は
不衛生な環境で60キロも徒歩で移動させた結果、多くの死者を
出した「バターン 死の行進」として知られています。
そして、1944年には、フィリッピンを占領されている日本軍
に対して奪回をするために、マッカーサーが連合軍を引き連れて
約束通りに戻ってきました。
これに対して、日本軍は「捷一号作戦」と呼ばれる計画で防衛を
しようとしました。
アメリカ軍は、フィリピン進攻に先立って、フィリピンの近くに
航空基地を建設する必要がありました。
このため、パラオ諸島とモロタイ島を攻略することになりました。
そして、アメリカ軍は航空兵力の支援もあり、ついにマッカーサー
率いる連合軍がフィリッピンを奪回することに成功しました。
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