西部開拓時代の人物

Sponsered Link


アメリカの西部開拓時代の頃の英雄

 

 アメリカの西部開拓時代には伝説的に名が残る色々な人物がいます。

 

 彼らも、最初の頃はは多様な民族や職業からなる無名の白人たちでした。

 

 しかし、北米大陸の独特の自然や先住民であるインディアンとの

 

 戦いの過程において、さまざまな英雄が生まれてきたのです。

 

 ここでは、代表的な西部開拓時代の英雄的な人物を紹介します。

 

ワイアット・アープ ・・・  Wyatt Berry Stapp Earp (1848―1929)  

 


西部開拓時代,西部開拓時代の英雄,ガンマン

 

 1870年代にウィチタやダッジシティなどは、

 

 カウボーイによって牛が集合することから

 

 牛の町(cow towns)と言われていた。

 

 ワイアット・アープはこれらの町で保安官補を務めていた。

 

 1881年10月のアリゾナのトゥームストンで

 

 バージル、ワイアット、モーガンのアープ3兄弟と

 

 ドク・ホリデイを加えて、クラントン一味との間で戦った

 

 OK牧場の決闘は、西部開拓史に残る有名な出来事である。

 

 OK牧場とは、日本語として付けられた名前であり、

 

 実際には、OK CORRAL であり、これは馬囲いのようなものである。

 

 いわゆる、広々とした牧場とは意味が違う。

 

 ワイアット・アープは、20歳のころバッファロー狩りで生計を立て

 

 ガンマンとして有名になった。

 

 彼の保安官としての取り締まり方の荒っぽさが理由で

 

 カンサス州のダッジシティを追放された。

 

 それ以後は、アリゾナ州のトゥームストーンに移り住んだ。

 

 晩年はロサンゼルスに定住して、自動車に乗るのが楽しみであった。

 

 映画監督のジョン・フォードと親交を持ち、フォードの

 

 西部劇映画の製作に大きな影響を与えた。

 

 1929年1月13日にロサンゼルスにて80歳で膀胱炎で死去した。

 

 OK牧場の決闘では、ワイアット以外の3人は負傷したが

 

 ワイアットだけは無傷であった。

 

 ワイアット・アープは生涯において、1度も銃の弾丸によって

 

 負傷しなかったと言われている。

 

 


●ワイアット・アープが使っていたガン

 

 

 

 

ビリー・ザ・キッド ・・・  Billy the Kid (1859―1881)

 


西部開拓時代,西部開拓時代の英雄,ガンマン

 

本名は一般的には、William H. Bonneyとされているが、

 

マッカーティHenry McCartyとも言われている。

 

ニューヨークに生まれて西部のニューメキシコ州で育ったと言われる。

 

少年時代からニュー・メキシコを中心にして、

 

数々の殺人や強盗、牛泥棒を重ねた。

 

また、一度は逮捕されても、保安官助手を殺して刑務所を脱走した。

 

このことは、当時のニューヨーク・タイムズでも報じられた。

 

彼は、アウトローになって放浪中にも様々な偽名を名乗ったようであるが、

 

最終的には、自らがウィリアム・H・ボニー(William H. Bonney)

 

と名乗るようになり、この名前が墓石にも刻まれることになった。

 

彼は21歳の生涯で、21人を殺したと語り継がれているが

 

事実は定かではない。

 

最後は、ビリーとの友人と言われていた保安官パット・ギャレットに

 

背後から射殺されたという説である。

 

その時のビリーは丸腰で、寝室から食べ物を取りに

 

部屋を出たところをパット・ギャレットに闇討ちされたと言われる。

 

しかし、パット・ギャレット本人は、ビリーが銃を構えたので、

 

正当防衛のために、やむなく射殺したとも主張している。

 

 

墓石の前の石碑には、このような銘が刻まれている。

 

Truth and History  21 Men  The Boy  Bandit King

 

He Died As He Lived

 

"William H. Bonney "Billy the Kid"

 

(真実にして歴史。犠牲者は21人。無法者の王。 若者は思うがままに生きて、死んだ)

 


●西部劇の伝説的アウトローのビリー・ザ・キッドを解説

 

 

 

 

 

バット・マスターソン ・・・  William Barclay Bat Masterson (1856―1921)

 


西部開拓時代,西部開拓時代の英雄,ガンマン

 

バット・マスターソンは、アメリカ東部で育ち、

 

最初は農業に携わっていたが、バッファロー・ハンターになるために

 

兄弟であるエドとジムらと一緒に、西部へ向かうことになった。

 

21歳の時に兄のエドとバッファロー狩りの最中に

 

インディアンの襲撃にあったが、反対にこれを撃退した。

 

このインディアンとの戦いでマスターソンの名前を有名にした。

 

1877年にテキサス州での喧嘩がもとで、骨盤に銃弾を受けたために

 

杖をつくようになった。

 

この頃、カンザス州のダッジシティの保安官であるワイアット・アープと

 

知り合いになり、アープの下で保安官代理として働くことになった。

 

ダッジシティでのアープとのコンビは、わづかの数ヶ月に過ぎなかったが

 

この間に、ワイアットと共に悪名高きならず者を撃退するなどした。

 

2人の活躍で、ダッジシティに法と秩序がもたらされることになった。

 

バット・マスターソンの実際の保安官としての生活は3年ほどであった。

 

これ以後は、ニューヨークに移り住んで、新聞記者として成功している。

 

37歳のときに、女優であるエマ・ウォルターズと結婚することになった。

 

1921年10月25日に、心臓発作のために亡くなった。

 

享年67歳であった。

 


●バット・マスターソンの解説動画

 

 

 

 

ドク・ホリデイ ・・・  John Henry Holliday (1851―1887)

 


西部開拓時代,西部開拓時代の英雄,ガンマン

 

 西部開拓時代のガンマンであり、ギャンブラーでもあった。

 

 歯学博士の称号を持っていたため、"ドク"の愛称で呼ばれた。

 

 アトランタ市で歯科医院を開業していたが、

 

 まもなく肺結核にかかり、医師からは余命数ヶ月を宣告される。

 

 結核の予防のために、空気の乾燥した西部へ移住することを決意した。

 

 西部に移動後は、南部の様々な州をさまよって、この間に

 

 口論から、多くの殺人を犯すことになった。

 

 ドク・ホリデイは、早撃ちをするために銃の照準や角などを削り落とし、

 

 引き金を安全金に縛り付けていたことでも有名である。

 

 OK牧場の決闘では、アープ3兄弟に味方してクラントン一家と撃ち合った。

 

 晩年は、酒が原因で、コロラド州のグレンウッド・スプリングスで

 

 肺結核で死亡した。36歳の若さであった。

 


西部開拓時代,西部開拓時代の英雄,ガンマン

 

 

 

ジェロニモ ・・・  Geronimo (1829―1909)

 


西部開拓時代,西部開拓時代の英雄,ガンマン

 

 

 ジェロニモは、アパッチ族の酋長の孫として生まれた。

 

 ジェロニモとは、スペイン語であり、メキシコ側での呼び名である。

 

 本当の名前は、ゴヤスレイである。

 

 元来は陽気であったジェロニモであったが、

 

 メキシコ軍に家族が虐殺されたのをきっかけに

 

 人が変わったかのようにメキシコへの憎悪が高まった。

 

 ジェロニモは、実はアパッチ族の酋長ではない。

 

 また、部族の指導者でもない。

 

 アパッチ族は、戦士同志は結束はしていても

 

 すべて個人行動で動くものであって、酋長に服従

 

 するような風習はない。

 

 ジェロニモの母の虐殺に対して、戦士たちが同情して

 

 ジェロニモと戦士たちが結束してメキシコ側に

 

 対抗したとも言える。

 

 ジェロニモは山岳地帯で訓練をして、弓矢や投石機の扱いを習得した。

 

 ジェロニモは、銃弾の流れの中を恐れることなく

 

 ナイフを片手に持ち、戦場で大暴れの戦闘をした。

 

 ジェロニモに殺された白人は、数百人とも言われているが

 

 実際には、数人かまたは多くても十数人程度である。

 

 ジェロニモは、1886年に投降された。

 

 それ以後は、生涯を米軍の虜囚として扱われることになった。

 

自動車に乗るジェロニモ

 


西部開拓時代,西部開拓時代の英雄,ガンマン

Sponsered Link


ためになる知識 雑学いろいろ 科学の知識 動物たち 英語あれこれ 健康の知識